2009年06月13日

三世代家族と核家族

 最近は「三世代家族」なんてあまり聞かなくなりました。まんが「サザエさん」も三世代家族ですね。昔は三世代家族は結構当たり前だったのでしょうか。調べてみるとそうでもなさそうです。戦前から核家族というものは結構な割合を占めていたようです。以外だなと感じました。下のグラフを見ると分かると思います。

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 しかしよくよく調べてみると、昔の核家族と今の核家族では質が違うのです。昔は、親族が近くに住んでいました。しかし今は、親族がばらばらになっている傾向があるのです。

 これは私にも経験があることです。私は田舎育ちで、父方の実家は隣にありました。小さい頃は毎日のように実家に行き、従姉妹と遊んでいました。また、母方の実家は少し離れていましたが、夏休みと冬休みの時期になると、母の兄弟姉妹4世帯が全て実家に集まって、2週間から3週間ぐらいの期間、その子どもとその母親達が一緒に暮らすのです。従兄弟(従姉妹)達と一緒に遊ぶと言うことが本当に楽しかったのです。友達と遊ぶこととは少し違うのです。はっきり言って実の兄弟姉妹と一緒なのです。そういう感覚です。それに友達とそんなに長い期間一緒に暮らすことはないのです。私から見て、従兄弟(従姉妹)の母も自分の母親という感覚でしたし、従兄弟(従姉妹)の母も、私に対して自分の子供のように接していました。

 そこで、三世代家族は父母を中心とすれば、祖父母・子女という構成になります。ですから、核家族には祖父母がいません。私が幼い頃に感じた祖父母は、父母よりも偉いという感覚がありました。当然祖父母は優しかったのですが、幼いながらもその格位を感じていました。特に祖父は座る位置が決まっていたり、何かと誰も犯すことのできない領域があったような気がします。自然と縦的な世界を教育されていたと思います。
 
核家族のメリットは何でしょう。一番大きいのは嫁と舅・姑との関係に気を遣う必要がないということでしょうか。ですからお嫁さんは三世代家族に抵抗を感じる方は多でしょう。サザエさんの場合はお婿さんになりますが・・・。

 それでは三世代家族のメリットはというと、協力し合えるということでしょうか。お嫁さんとしては、忙しいときに子供を見てもらえる。おじいちゃん・おばあちゃんとしてみれば、息子やお嫁さんに頼りたいことも多くあるでしょう。子供にしてみれば、父母とは違う、祖父母の愛というものを受けることができます。良き伝統の相続とも言えるでしょう。文鮮明先生、統一教会では理想の家族のあり方として三世代家族を唱えています。三世代家族は人間関係が難しいように思うのですが、逆にそれが人間関係を築くための良き教育の場となっていくと思うのです。皆さんはどう思われますか?
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2009年06月11日

代々木第一聖地まで行軍

 西南東京教区では、毎月第一土曜日に代々木の第一聖地まで行軍を行っています。代々木の聖地は統一教会の創始者である文鮮明(ムン ソンミョン)先生が、日本で一番最初に決定された聖地です。6月6日(土)は雨が降り続く中での行軍となりました。7カ所の教会から、午前8時聖地到着を目指してそれぞれ出発します。遠いところは午前4時ぐらいに出発します。世田谷教会は午前6時半に世田谷教会を出発し、約4.5キロメートルの道のりを歩みます。
 国道246号線をずっと歩みながら、途中、山の手通りに入っていきます。約1時間の道のりとなりますが、さすがに雨の日の行軍は、いつもより疲れが来てしまいます。しかし、聖地に到着したときの達成感は感無量です。
 西南東京教区では、この行軍が良き伝統となっています。真の御父母様が辿ってこられた路程の僅かでも触れることができればと想いつつ足を進めています。聖地には気が溢れていますし、そこで祈祷を捧げると言うことが、一週間の締め括りと出発の良き起点となっております。(写真は代々木聖地での全体写真)

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posted by タール星人 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドラマ「明成皇后」を見る(2)−幼少期

 前回の記事では、明成皇后の実像と言うことで、日本と韓国の違いを取り上げました。共通点も多いのですが、感情面での捉え方が180度違うという感じがします。結論的に言うと、日本から見た明成皇后は日本にとって障害となる人物、韓国から見た明成皇后は国を愛し抜いた烈女とも言えるでしょう。実は「明成皇后」という名前は没後に付けられた名前です。
 
 明成皇后は「閔ジャヨン」という名前で、両班(やんばん−貴族)の生まれではありますが、父親を早く亡くし、貧しく衰退した家庭で育ちました。幼少期の閔ジャヨンは「ムン グニョン」さんが演じています。大変有名な子役出身の女優さんです。(下の写真−「秋の童話」に出ていました)それと幼年期の高宗(こじょん)です。
 
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 当時の王は高宗(こじょん)というまだ10代の幼い王だったのですが、実権はその父である大院君(てーうぉんぐん)が握っていました。大院君はそれまで朝廷の実権を思いのままにしていた安東金氏(あんどんきむし)を朝廷から追い出し、新しい国造りを目指していました。景福宮を再建し、外国からの侵略を防ぐことのできる富国強兵を目指していました。
 実は王の后という立場は大変重要でなのです。外戚(后の親族)が朝廷の権力を握ると言うことになるからです。ですから、大院君はそのような外戚が権力を握る風潮をなくすため、今や衰退しきった閔氏の中から后を選んだのです。それが「閔ジャヨン」後の明成皇后となった方なのです。

 宮中に嫁入りした幼い閔ジャヨンは、いきなり大きな試練を迎えました。それは、夫である高宗からも、義父である大院君からも徹底的に疎んじられたのです。高宗に至っては、3年間一度も床を共にすることはなかったのです。というのも高宗には元々愛する李尚宮(さんぐん−宮中の女官をまとめる人・班長)がいたのです。
 また、義父である大院君は、外戚が権力を持つことを嫌い、閔ジャヨンに大変冷たかったのです。そのように疎んじられていた期間、閔ジャヨンは毎日夜遅くまで読書をしていたのです。後に本人が証しているのですが、いずれ大院君から権力を奪うために勉強したとあります。元々センスがあったと思うのですが、このときに、政治力、外交力を身につけたようです。やはり大院君に対する恨みは大きかったようです。

 更に追い打ちをかけるように、李尚宮は王子を出産することとなったのです。閔ジャヨンも高宗に振り向いてもらおうと努力するのですが、一向に気にかけてもらえなかったのです。そして大院君も李尚宮を気にかけるようになり、閔ジャヨンに対して更に冷たくなっていったのです。
 
 果たして明成皇后の実像とは・・・
posted by タール星人 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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