2009年06月25日

青少年犯罪の動向(2)−犯罪の変化

 青少年犯罪の変化、それは時代的な背景の違いというものが挙げられると思います。実は1960年の頃は、日本の高度経済成長を迎えようとした頃であり、経済が成長し国が豊かになるに連れて、犯罪件数が下がったと言えると思います。ですから1960年のあたりは、貧しさと社会の混乱の故に犯罪を犯すと言うことが多かったのではないか?
 しかし、1990年以降の犯罪は、国が豊かになり、外的には何不自由のない環境であるにもかかわらず凶悪犯罪が増えつつあると言うことです。そして、グラフを見ても分かるように、激しい上昇を続けています。1990年の凶悪犯罪計が1078であるのに対して1999年では2237と約10年間で倍増しているのです。

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 最近の青少年凶悪犯罪の特徴を調べたところ、一見安定している生活をしている家族、明るくて普通の子が犯罪を犯している。犯罪をしても反省の色がない。凶悪犯罪を犯すほどの動機が見つからない。また、異常なほどの悪質、肉体の傷つけ方などが挙げられれるのです。
 まさに外的な理屈だけでは説明が付かない事態が起きていると言うことです。それは「心」「内的」な問題が加わってきていると言うことです。内的なものとは、当然外的環境の変化が内的なもに影響を与えているとも言えます。

 今、多くの宗教団体が高度情報化社会による青少年への悪影響、家庭の問題に対して警鐘を鳴らしています。
 情報化社会の弊害として、携帯電話やゲーム機などが悪影響を及ぼしているとも言えるでしょう。特にこれらはバーチャルリアリティ(仮想現実)という、仮想(空想)世界と現実とのギャップを感じなくなる、麻痺して見分けがつかなくなると言う現象が起きています。このように精神的な支障、不安定に起因があると言えます。 ですから、青少年の学校教育、家庭問題、青少年を取り巻く環境を改善していかない限り、凶悪犯罪の防止にはならないでしょう。これらのどれひとつがかけても解決できないと思います。
 取り締まりや、刑罰を強化しても、それは犯罪を犯した結果、科されるものであり、根本的な防止にはならないでしょう。ですから本来神が人間を創造した価値を知らない限り、青少年自身が自己中心的な欲望を抑制することはできないでしょう。同時に青少年を取り囲む大人が同じように、神の人間創造の価値を知らずして正しい教育を成すことはできないでしょう。
 
posted by タール星人 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

青少年犯罪の動向(1)−犯罪は本当に増えているか?

 私たちのイメージとしては、一般的に最近、青少年犯罪が増加していると感じている方が多いと思います。そこで、実際どうだろうかと調べてみたところ、下記のような統計グラフを見つけました。これは、凶悪犯罪に関しての未成年の検挙・補導件数を表したグラフです。そもそも凶悪犯罪とは下記のグラフから分かるように、殺人・強盗・放火・強姦のことを言います。このグラフから見ると、1960年をピークに犯罪検挙件数がかなり下がっていることが分かります。そして1990年には過去最低の件数まで下がりました。以外でした。但しこのグラフは1990年までのデータです。

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 次に下のグラフは、1990年以降の青少年犯罪の検挙人員率を表したグラフです。実は、上のグラフは1990年までの統計なのですが、下のグラフは1990年以降のグラフと言うことで、近年、再び青少年の凶悪犯罪が増えてきていると言うことが分かります。

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 グラフを見て分かるように、確かに1990年以降青少年の凶悪犯罪はかなりの率で上昇していますが、しかしながら1960年のピークの頃に比べると絶対件数としてはかなり少なくないのです。ではなぜ最近、青少年の犯罪増加がマスコミなどで大きく取り上げられるのでしょうか。また、私たちも実際に危機感を感じていることは否めないのです。

次に続く・・・
posted by タール星人 at 10:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

ドラマ「明成皇后」を見る(5)−エピローグ

 明成皇后は三浦外務大臣赴任のことを聞いて、大変驚きます。なぜ、わざわざ外交に疎い人を朝鮮に送ったのか。三浦外務大臣は大院君と明成皇后に着目し、朝鮮進出のためにはこの2人を解決しなければならないと考えます。そしてその結論が、大院君を王として立て、明成皇后を失脚させるという政策でした。しかし、大院君は明成皇后と手を組んでいたので、大院君を思うように動かすことが難しかったのです。そこで、三浦外務大臣は「狐狩り」という作戦で、明成皇后暗殺を決行することになりました。三浦外務大臣だからこそ、このような無謀な計画を考えたのでしょうか。

 実は、暗殺が計画されていることを明成皇后は事前に知っていたと言います。それで、ロシアに協力を求めていたのですが、それまで協力的だったロシアが消極的になってしまったのです。日本との直接衝突を避けたかったのでしょう。明成皇后は完全に宮殿を守る術を失ってしまったのです。当然、ロシア大使館に逃げ込めば、助かるのですが、それは王室が国と国民を裏切ることに等しいので、できなかったのです。
 そして1895年10月8日、日本軍は朝鮮王朝に不満がたまっていた朝鮮の訓練隊を巻き込みながら、王宮に押し入りました。その際、明成皇后は暗殺され、直後に遺体を焼かれ、遺骨は宮殿内の池にばらまかれたのでした。日本軍はこの事件に対して、日本は関与しておらず、明成皇后に不満を持つ朝鮮人が暗殺したもので、日本軍は警護の為に宮殿に入ったと弁明しています。
 しかし、日本軍が暗殺に関与したという目撃証言が多かったため、日本は国際的に大きな非難を受けることになりました。また、朝鮮国民も国母(明成皇后)を暗殺した日本に対して激しい憤りを示し、収拾が困難になり、一旦朝鮮から手を引くことになりました。そして、日本は国際的な批判を避けるため、三浦外務大臣を初めとする日本人の当事者を裁判にかけることにしました。しかし証拠不十分ですぐに釈放となりました。
 その後、明成皇后は身分を平民に格下げされました。これは日本が強制的にさせたようです。しかし、このことが朝鮮内で大変な反発を買ってしまい、間もなく身分を復帰し、そのときに「明成皇后」という名が付けられたのです。ですから日本では「閔妃」という名前が一般的なのでしょう。逆に韓国では「閔妃」という呼び方は屈辱的なようです。

 暗殺に関する事実を私が知る術もありません。今回は、ドラマ「明成皇后」を見て感じたままを記事にした次第です。ですから、韓国側の一方的な情報とも言えます。しかし、日本人も知る必要はあると感じています。

 歴史というものは、真実というものは、ひとつであるということは当然のことですが、ひとつの真実も、国によって、人によって映り方が違うものだと感じます。日の出の時に映る影と、日の入りの時に映る影の方向が違うことと似ていると思うのです。ドラマ「明成皇后」は見る人によっては、気分を害するドラマだと感じます。特に日本人にとっては。しかし、国による歴史観の違いというものを受け入れずして、相互理解をすることは難しいでしょう。人によっては「今が重要だ、昔は関係ない」と考える方もいるともいますが、歴史の結実体として立っている今の私、社会、国家であるということを考えれば、決して歴史を無視することはできないと感じるのです。

posted by タール星人 at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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