2009年06月21日

ドラマ「明成皇后」を見る(5)−エピローグ

 明成皇后は三浦外務大臣赴任のことを聞いて、大変驚きます。なぜ、わざわざ外交に疎い人を朝鮮に送ったのか。三浦外務大臣は大院君と明成皇后に着目し、朝鮮進出のためにはこの2人を解決しなければならないと考えます。そしてその結論が、大院君を王として立て、明成皇后を失脚させるという政策でした。しかし、大院君は明成皇后と手を組んでいたので、大院君を思うように動かすことが難しかったのです。そこで、三浦外務大臣は「狐狩り」という作戦で、明成皇后暗殺を決行することになりました。三浦外務大臣だからこそ、このような無謀な計画を考えたのでしょうか。

 実は、暗殺が計画されていることを明成皇后は事前に知っていたと言います。それで、ロシアに協力を求めていたのですが、それまで協力的だったロシアが消極的になってしまったのです。日本との直接衝突を避けたかったのでしょう。明成皇后は完全に宮殿を守る術を失ってしまったのです。当然、ロシア大使館に逃げ込めば、助かるのですが、それは王室が国と国民を裏切ることに等しいので、できなかったのです。
 そして1895年10月8日、日本軍は朝鮮王朝に不満がたまっていた朝鮮の訓練隊を巻き込みながら、王宮に押し入りました。その際、明成皇后は暗殺され、直後に遺体を焼かれ、遺骨は宮殿内の池にばらまかれたのでした。日本軍はこの事件に対して、日本は関与しておらず、明成皇后に不満を持つ朝鮮人が暗殺したもので、日本軍は警護の為に宮殿に入ったと弁明しています。
 しかし、日本軍が暗殺に関与したという目撃証言が多かったため、日本は国際的に大きな非難を受けることになりました。また、朝鮮国民も国母(明成皇后)を暗殺した日本に対して激しい憤りを示し、収拾が困難になり、一旦朝鮮から手を引くことになりました。そして、日本は国際的な批判を避けるため、三浦外務大臣を初めとする日本人の当事者を裁判にかけることにしました。しかし証拠不十分ですぐに釈放となりました。
 その後、明成皇后は身分を平民に格下げされました。これは日本が強制的にさせたようです。しかし、このことが朝鮮内で大変な反発を買ってしまい、間もなく身分を復帰し、そのときに「明成皇后」という名が付けられたのです。ですから日本では「閔妃」という名前が一般的なのでしょう。逆に韓国では「閔妃」という呼び方は屈辱的なようです。

 暗殺に関する事実を私が知る術もありません。今回は、ドラマ「明成皇后」を見て感じたままを記事にした次第です。ですから、韓国側の一方的な情報とも言えます。しかし、日本人も知る必要はあると感じています。

 歴史というものは、真実というものは、ひとつであるということは当然のことですが、ひとつの真実も、国によって、人によって映り方が違うものだと感じます。日の出の時に映る影と、日の入りの時に映る影の方向が違うことと似ていると思うのです。ドラマ「明成皇后」は見る人によっては、気分を害するドラマだと感じます。特に日本人にとっては。しかし、国による歴史観の違いというものを受け入れずして、相互理解をすることは難しいでしょう。人によっては「今が重要だ、昔は関係ない」と考える方もいるともいますが、歴史の結実体として立っている今の私、社会、国家であるということを考えれば、決して歴史を無視することはできないと感じるのです。

posted by タール星人 at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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