2009年06月11日

ドラマ「明成皇后」を見る(2)−幼少期

 前回の記事では、明成皇后の実像と言うことで、日本と韓国の違いを取り上げました。共通点も多いのですが、感情面での捉え方が180度違うという感じがします。結論的に言うと、日本から見た明成皇后は日本にとって障害となる人物、韓国から見た明成皇后は国を愛し抜いた烈女とも言えるでしょう。実は「明成皇后」という名前は没後に付けられた名前です。
 
 明成皇后は「閔ジャヨン」という名前で、両班(やんばん−貴族)の生まれではありますが、父親を早く亡くし、貧しく衰退した家庭で育ちました。幼少期の閔ジャヨンは「ムン グニョン」さんが演じています。大変有名な子役出身の女優さんです。(下の写真−「秋の童話」に出ていました)それと幼年期の高宗(こじょん)です。
 
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 当時の王は高宗(こじょん)というまだ10代の幼い王だったのですが、実権はその父である大院君(てーうぉんぐん)が握っていました。大院君はそれまで朝廷の実権を思いのままにしていた安東金氏(あんどんきむし)を朝廷から追い出し、新しい国造りを目指していました。景福宮を再建し、外国からの侵略を防ぐことのできる富国強兵を目指していました。
 実は王の后という立場は大変重要でなのです。外戚(后の親族)が朝廷の権力を握ると言うことになるからです。ですから、大院君はそのような外戚が権力を握る風潮をなくすため、今や衰退しきった閔氏の中から后を選んだのです。それが「閔ジャヨン」後の明成皇后となった方なのです。

 宮中に嫁入りした幼い閔ジャヨンは、いきなり大きな試練を迎えました。それは、夫である高宗からも、義父である大院君からも徹底的に疎んじられたのです。高宗に至っては、3年間一度も床を共にすることはなかったのです。というのも高宗には元々愛する李尚宮(さんぐん−宮中の女官をまとめる人・班長)がいたのです。
 また、義父である大院君は、外戚が権力を持つことを嫌い、閔ジャヨンに大変冷たかったのです。そのように疎んじられていた期間、閔ジャヨンは毎日夜遅くまで読書をしていたのです。後に本人が証しているのですが、いずれ大院君から権力を奪うために勉強したとあります。元々センスがあったと思うのですが、このときに、政治力、外交力を身につけたようです。やはり大院君に対する恨みは大きかったようです。

 更に追い打ちをかけるように、李尚宮は王子を出産することとなったのです。閔ジャヨンも高宗に振り向いてもらおうと努力するのですが、一向に気にかけてもらえなかったのです。そして大院君も李尚宮を気にかけるようになり、閔ジャヨンに対して更に冷たくなっていったのです。
 
 果たして明成皇后の実像とは・・・
posted by タール星人 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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