2009年06月04日

ジェンダーフリーについて考える

 皆さんはちょっと前まで、「ジェンダーフリー」という言葉を聞く機会が多かったのではないでしょうか? ジェンダーフリー(gender-free)とは、社会的性別(ジェンダー)に対する一般通念にとらわれず、人それぞれの個性や資質に基づいて、自分の生き方を自己決定出来るようにしようという、「固定的な性役割の通念からの自由を目指す」思想、および、この思想に基づいた運動を指す。『デイリー新語辞典』(三省堂)では、「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること。」と定義されています。
 
 「男女共同参画」という言葉も何度も聞かれたことがあること思います。これは、、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」のこと。そしてこの理念を実現するためのもので、1999年(平成11年)6月23日に「男女共同参画社会基本法」が制定され、公布・施行されました。
 現在、「ジェンダーフリー」という言葉は様々な誤解を招くため、男女共同参画局がその言葉を使用しないよう指導しているようです。男女平等と言う思想は大変良いことであると感じますが、時にその行動や運動が過激になってしまい、常識や道徳性から著しく外れてしまうことがあると言うことです。特にジェンダーフリー定義のところで触れているように「自分の生き方を自己決定出来るようにしようという」という内容に大変誤解が生じやすいとも言えるでしょう。
 
 歴史を振り返ってみると、女性が蔑視されてきたという事実は世界共通のことと言っても過言ではないと思います。そのような反発心からこのような思想が発生したとも言えるし、男性も女性も神から創造された貴い立場であるから、本質的に見て公平であることは当然であるとも言えます。このように結果は同じように見えても、その動機に違いがあります。
 前者は蔑視されてきたという、反発心、恨みが原動力となっているようです。また後者は、人間創造の本質を見直そうという肯定的な考えが動機となった発想だと思います。
 
 ジェンダーフリーという言葉自体は、それほど問題のないように思えるのですが、場合によってはこの思想が過激化し、様々な支障が生じています。男女の平等と言うことに関しても、男性と女性はどう考えても違いがあることは明確なのに、その違いをとことん否定しようとする流れがあります。過激なジェンダーフリー思想を持つ方は、この違いは生活や教育によるものと考えているようです。 しかし、男女と女性は生まれたときから違います。まず、体の構造自体違うし、生活や教育に関係なく、成長するに従い、体の構造にはもっと違いが出てきます。だから全く同じことをすることは不可能です。
 歴史的な流れから、男女の違いを「差別」と考える傾向にあるのかもしれません。男性と女性が互いに認め合い、尊重し合うことが最も重要だと感じます。特に夫婦の間でそのようなことが必要だと感じるのです。

 それから、ジェンダーフリーの思想が定着している現場の一つとしてあげられるのが、学校教育の現場であり、日教組です。今回は、そのことに触れていきたいと思います。まずは下記のリンクより動画を見て下さい。

http://uc-setagaya.org/kininarukoto/flash/gender-free.html

 これは東京のある小学校において実際に行われていた行為です。とても信じがたい内容です。当然都内の全ての学校で行われているわけではないが、過激なジェンダーフリー教育が浸透しつつあるのは事実です。また教師が親に言わないよう生徒に口止めしていることが多いのです。
 以前、私はジェンダーフリーに関する講座を受けたとき、川崎の中学校では、「男性と女性が同じ教室で着替えをさせている」と聞いたことがあるのです。まさかそんなことはないだろうと軽く聞き流していたのだが、その後、たまたま川崎に在住する20代の男性と話す機会があり、そういえばと思い、「中学の時、男女一緒の教室で着替えをしていた?」と聞いたら、いとも簡単に「そうですよ」と答えられてしまいました。そして彼が言うに「女性は本当に嫌がっていました」と。私は「それって、おかしいと思わなかった?」と聞いたら、「おかしいと思ったけど、学校でやることだから普通だと思った」と答えました。

 過激なジェンダーフリーの思想が教育現場に浸透し、小学校でも「性」の自由というものが教育されています。物事の善悪の判断も付かない年代の子ども達に、火や拳銃を持たせるのと同じ行為と言えるのではないでしょうか? 実際に子ども達に、「セックスをするかどうかは君たちが決めることで、先生が決めることではない」などと、とんでもない教育をしています。わざわざ小学生にそんなことを言う必要があるのでしょうか?
 当然、人間には自由意志というものがありますが、「自由」という言葉をはき違えているように思います。自由には必ずその後に責任というものが伴います。人を殺したいからと言って殺したら、その後、きちんと償いをしなければなりません。また、成長段階の初期においては、ある程度、抑止するとか我慢するという教育も必要です。そうでなければ、社会に対応することすらできません。

 最近、青少年の異常な犯罪が増加の傾向にあります。アメリカでも、昔、早期の性教育を進めたときに、青少年の犯罪が増加したそうです。それで、今のアメリカはそのような性教育を自粛する傾向にあるそうです。今、日本の教育現場は、わざわざアメリカの失敗例に習おうとしているのです。
 今日は過激なジェンダーフリー思想による影響のひとつを紹介しましたが、やはりこのようなことは、他人事として見過ごすわけにはいかない内容です。今後も、検証していきたいと思います。
posted by タール星人 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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