2009年06月17日

石井光治元会長の昇華に寄せて

ishii_001.jpg 6月15日朝、第6代目の世界基督教統一神霊協会(統一教会)会長であられる石井光治元会長が一心病院にて昇華されました。
 6月16日の帰歓式に参加させていただきました。主礼は桜井 設雄元会長が務められ、草創期に共に歩んできた証しを多くされました。続いて宋 榮錫総会長が特別メッセージを語られました。今回は文鮮明先生から石井元会長に「心情開放苑主導者石井君 祝忠情誠情伝統試範者天国入城萬歳石井君」とうい揮毫が下賜されました。約2時間ほどの帰歓式でしたが、昔を懐かしむような暖かい雰囲気に包まれた式典となりました。最後に施主であられるトミ子夫人が親族代表をされました。昇華する3日前から石井元会長は、もう霊界に行くべきかまだ地上に残るべきかと迷うような状態になられていたようです。しかし最後は、霊界に言って責任を果たすと言われながら、静かに眠るように息を引き取られたそうです。

 石井元会長は昨年の暮れから今年の初めにかけて、世田谷教会に何度か足を運んで下さり、礼拝の説教を担当されたり、壮年婦人達との懇談会の場を持って下さいました。その当時から、持病を患っておられ、かなり体調も思わしくなかったのです。しかし神様のみ旨成就の為の熱意は相当なもので、何時間にもわたり教会員達にみ言を語られ、あるときは質問に答えられながら、復興の場を与えて下さりました。
 実は、今年の1月18日に壮年の1Dayセミナーを行いましたが、そのときは一心病院の方も付き添いながらのセミナーとなりました。昨年の暮れに倒れられ、それから一心病院に入院されていたのです。入院先から直接、私たちのために車椅子でセミナーに駆けつけて下さったのです。
 そして、それが石井元会長の最後の公の集会の場となったのでした。そういう面では、石井元会長と世田谷教会との深い関わりを感じざるを得ません。私たち教会員にも父親のように、兄のように近く接して下さり、その想い出は生涯の宝となることでしょう。
 神様と人類を愛し、復帰の心情で溢れていた石井元会長でしたから、肉体を脱ぎ霊界に旅立たれてからは、縦横無尽に霊界で活躍され、我々地上にいる教会員達に協助して下さることを確信致します。
 本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します。
posted by タール星人 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

ドラマ「明成皇后」を見る(3)−中年期

 中年期は、明成皇后役として イ・ミヨン さんが演じることとなります。 (下の写真)

imiyon2.jpg

 幼少期の明成皇后は、とにかく孤独な路程でした。しかし李尚宮は王子を出産したものの、かなりわがままだったため、高宗は少しずつ李尚宮から気持ちが離れていくようになりました。そして、明成皇后の所に足を運ぶようになってきました。そして、最終的に李尚宮は横暴な行動が目に余り、明成皇后から宮を追い出されることになりました。このことが明成皇后の「嫉妬深い」ということに繋がったのでしょう。実はその後、高宗は張(ちゃん)という尚宮とも関係を持つようになり、やはり男児を出産しますが、明成皇后は張尚宮を宮から追い出すことになるのです。

 明成皇后は4回懐妊しますが、そのうち3回は流産や出産後まもなく亡くなるということが続き、なかなか世継ぎに恵まれず心を痛めていました。やっと王子を出産することになるのですが、病弱で常に心配の種だったのです。
 しかし、世継ぎとなる王子が生まれてから、明成皇后の権力は次第に強くなっていきました。それまで、大院君が独裁的に政治を行ってきましたが、徐々に明成皇后が口を挟むようになったのです。そして1873年、明成皇后は大院君を宮から追い出すことに成功したのでした。それからというもの明成皇后は外戚である閔氏一族を重役に登用していき、閔氏による勢道政治を行っていったのです。このことは国民から大きな反感を買うようになってしまいました。
 その頃から明成皇后は開国政策をとり、日本と日朝修好条規(江華島条約)を締結するなど積極的な開化政策を行い様々な面で近代化を実施しまた。しかし当時の朝鮮は、まだ鎖国意識、反日感情が強く、このことが更に反感を強めることとなりした。

 そして1882年、様々な不満が開化政策に不満を持つ大院君等の勢力と合わさり朝鮮の旧式軍隊が明成皇后暗殺をもくろんだ(壬午軍乱)のです。その際、多くの明成皇后派要人や日本人が殺され、日本大使館が焼き討ちにされたが、事件を察知した明成皇后は侍女を自らの身替りとして王宮を脱出し、当時朝鮮に駐屯していた清の袁世凱の力を借りて窮地を脱したのです。その後、大院君はその罪を問われて清に3年間幽閉されたのです。

 このように、明成皇后と大院君の因縁の対決は熾烈を極めました。そのことによって多くの人が犠牲となりました。明成皇后の実母と実兄は大院君の手下によって暗殺されたのです。その悲しみと恨みは相当なものだったでしょう・・・。

 果たして明成皇后の実像とは・・・
posted by タール星人 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月13日

三世代家族と核家族

 最近は「三世代家族」なんてあまり聞かなくなりました。まんが「サザエさん」も三世代家族ですね。昔は三世代家族は結構当たり前だったのでしょうか。調べてみるとそうでもなさそうです。戦前から核家族というものは結構な割合を占めていたようです。以外だなと感じました。下のグラフを見ると分かると思います。

setaiwariai.png

 しかしよくよく調べてみると、昔の核家族と今の核家族では質が違うのです。昔は、親族が近くに住んでいました。しかし今は、親族がばらばらになっている傾向があるのです。

 これは私にも経験があることです。私は田舎育ちで、父方の実家は隣にありました。小さい頃は毎日のように実家に行き、従姉妹と遊んでいました。また、母方の実家は少し離れていましたが、夏休みと冬休みの時期になると、母の兄弟姉妹4世帯が全て実家に集まって、2週間から3週間ぐらいの期間、その子どもとその母親達が一緒に暮らすのです。従兄弟(従姉妹)達と一緒に遊ぶと言うことが本当に楽しかったのです。友達と遊ぶこととは少し違うのです。はっきり言って実の兄弟姉妹と一緒なのです。そういう感覚です。それに友達とそんなに長い期間一緒に暮らすことはないのです。私から見て、従兄弟(従姉妹)の母も自分の母親という感覚でしたし、従兄弟(従姉妹)の母も、私に対して自分の子供のように接していました。

 そこで、三世代家族は父母を中心とすれば、祖父母・子女という構成になります。ですから、核家族には祖父母がいません。私が幼い頃に感じた祖父母は、父母よりも偉いという感覚がありました。当然祖父母は優しかったのですが、幼いながらもその格位を感じていました。特に祖父は座る位置が決まっていたり、何かと誰も犯すことのできない領域があったような気がします。自然と縦的な世界を教育されていたと思います。
 
核家族のメリットは何でしょう。一番大きいのは嫁と舅・姑との関係に気を遣う必要がないということでしょうか。ですからお嫁さんは三世代家族に抵抗を感じる方は多でしょう。サザエさんの場合はお婿さんになりますが・・・。

 それでは三世代家族のメリットはというと、協力し合えるということでしょうか。お嫁さんとしては、忙しいときに子供を見てもらえる。おじいちゃん・おばあちゃんとしてみれば、息子やお嫁さんに頼りたいことも多くあるでしょう。子供にしてみれば、父母とは違う、祖父母の愛というものを受けることができます。良き伝統の相続とも言えるでしょう。文鮮明先生、統一教会では理想の家族のあり方として三世代家族を唱えています。三世代家族は人間関係が難しいように思うのですが、逆にそれが人間関係を築くための良き教育の場となっていくと思うのです。皆さんはどう思われますか?
posted by タール星人 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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